今現在の状況
2009/02/03 Tue [Edit]
どうもここにあれなことばっかり書いてるので、姉貴から大学に行っていない、勉強をしていないと思われているらしい。
そんなことないよ! 勉強してますよ!
大学には、もう毎日行ってますし、講義だってまず寝ないんだぜ。そこはこうこうとは変わらないし、ほかのことも多分姉貴の知っているぼくからそれほど乖離していないと思う。
自分の首を絞めて、遊び呆けているようにも見えるかもしれませんが、そんなことはない、勉強と遊びでほかの余裕が無いだけですよ。やることはちゃんとやっているし、レポートもちゃんと出してる。この前の放射線のレポートは、ちょっと時間配分ミスったけど。エクセル使えるようになるのにあんな時間がかかるとは思わなんだ。
勉強も遊びも両立してこその学生だと思うんだ。遊びとは、もろもろ含めてですけど。やりたいことは全てやるがコンセプト。やるべきことを全てやるもコンセプト。やらなくていいことで楽しいことはできるだけやるのが信条です。
つーか勉強自体は高校より絶対してるぜ。レポートとかで強制的にやらされることも多いけど、やらないと分かんないし。
その姉貴の話で、ノートよりも教科書、先生の話というのがあった。中学高校時のぼくなら諸手を上げて大賛成でしょう。昔のぼくはノートももちろん取っていましたが、必要なことを書き留める程度で、特に数学系に関してはほとんど、古典や社会系、化学を抜かせばノートは薄いです。中学では、ノート提出も多かったんでまじめに取っていたものの方が多いですけど、高校はだいぶおざなりでした。あとは演習をやってそれなりの成績が取れるくらいには、十分だったわけです。
ただ、今は少し事情が違う。確かに高校や中学では教科書が親切に作ってある上、そこからあまりに逸脱したことは教えないから、そもそも教科書だけでも事足りる。究極的に言ってしまえば、先生の話だって必要がない。
けれど今は、教えることに上限なんて無いし、まず教科書自体が無い授業も多い。あってもなきが如しのような授業や、先生(解析学の)自身が「教科書を見ても無駄」という人もいます。どうもページ数の都合で省かれている部分が多いのだとか。実際、証明とかなんてなに書かれているか意味不明ですからね。証明を問題に投げっぱなしにしているのに、答えに「省略」の二文字しか無いヤツとか。しかも相当むずいという。
ぼくは記憶力にそこまでの自信は無い。聞いたことを全て覚えていられるほど、優秀な人間にできていない。
教科書に書かれていることの方が少ない以上、ノートは取らざるを得ない。だいたい、証明の仕方なんて、聞いてすぐに覚えられるほど簡単なものは少ないんだよ。高校みたいに十行も使えば終わるものなんて少数派なんですよ。離散とかもうね、証明以外に無いし、証明は聞いて分かるけどじゃあ自分で書けって言われたときに、ノートが無いと練習方法すら分かんないんじゃどうしようもない。
ただ、聞くことは重要だと思うのでそこは折半。書き漏らしたところは友達と補完。あとは教科書で補強かな。
なので、重要度的には、先生の話≒ノート<<教科書って感じ。教科書はあくまで予備よ。演習問題しか使えねーってのもある。
ただ、逆に社会思想史や文学、文化人類学に心理学とか、文系科目は先生の話を聞かないと意味が無い。プリントは配られるけど、ダイジェストだし。板書もほとんどないから、必要なことは自分で書き留めないと。
以上、長々とした私信でした。むしろいいわけともとれるけど。
大学はある程度のテンプレはあるけど制限は無いから。教科書なんて最初の方は参照してたけど、最近は家に置きっぱなしでほこりをかぶっている。勉強するときに見ることはあれどノートメインだし。
効率のいい勉強方法っていうのはいろいろあると思うけど、重複してやるのは無駄だよね。授業でやったことを反復するなんていつもどうよと思うのだけど。演習で一緒にやってしまえばいいじゃないみたいな。
ぼくは、実践あるのみな、インドア派なのに体育界系な思考の持ち主です。人間、やればきっとできるのだ。やりたくないことは多いけどね。
でも考えてみれば、ノートを取って見直すことなんて多分一割にも満たない。できるところはできるし、基本的なことが分かれば応用もある程度はできる。それ以上と、証明のやり方とかくらいかな。あとは演習あるのみ(テスト時だけだけど)。
だから、ノートはあとで見直すためのものでもあるけれど、書きながら覚えるというところもあるかもしれない。音よりかは文字の方が分かりやすい部分はある。力学とかはそんな感じだったかな。
更新? 宣言した以上今日中にはやるぜ。まだなにもしてないけど。
そんなことないよ! 勉強してますよ!
大学には、もう毎日行ってますし、講義だってまず寝ないんだぜ。そこはこうこうとは変わらないし、ほかのことも多分姉貴の知っているぼくからそれほど乖離していないと思う。
自分の首を絞めて、遊び呆けているようにも見えるかもしれませんが、そんなことはない、勉強と遊びでほかの余裕が無いだけですよ。やることはちゃんとやっているし、レポートもちゃんと出してる。この前の放射線のレポートは、ちょっと時間配分ミスったけど。エクセル使えるようになるのにあんな時間がかかるとは思わなんだ。
勉強も遊びも両立してこその学生だと思うんだ。遊びとは、もろもろ含めてですけど。やりたいことは全てやるがコンセプト。やるべきことを全てやるもコンセプト。やらなくていいことで楽しいことはできるだけやるのが信条です。
つーか勉強自体は高校より絶対してるぜ。レポートとかで強制的にやらされることも多いけど、やらないと分かんないし。
その姉貴の話で、ノートよりも教科書、先生の話というのがあった。中学高校時のぼくなら諸手を上げて大賛成でしょう。昔のぼくはノートももちろん取っていましたが、必要なことを書き留める程度で、特に数学系に関してはほとんど、古典や社会系、化学を抜かせばノートは薄いです。中学では、ノート提出も多かったんでまじめに取っていたものの方が多いですけど、高校はだいぶおざなりでした。あとは演習をやってそれなりの成績が取れるくらいには、十分だったわけです。
ただ、今は少し事情が違う。確かに高校や中学では教科書が親切に作ってある上、そこからあまりに逸脱したことは教えないから、そもそも教科書だけでも事足りる。究極的に言ってしまえば、先生の話だって必要がない。
けれど今は、教えることに上限なんて無いし、まず教科書自体が無い授業も多い。あってもなきが如しのような授業や、先生(解析学の)自身が「教科書を見ても無駄」という人もいます。どうもページ数の都合で省かれている部分が多いのだとか。実際、証明とかなんてなに書かれているか意味不明ですからね。証明を問題に投げっぱなしにしているのに、答えに「省略」の二文字しか無いヤツとか。しかも相当むずいという。
ぼくは記憶力にそこまでの自信は無い。聞いたことを全て覚えていられるほど、優秀な人間にできていない。
教科書に書かれていることの方が少ない以上、ノートは取らざるを得ない。だいたい、証明の仕方なんて、聞いてすぐに覚えられるほど簡単なものは少ないんだよ。高校みたいに十行も使えば終わるものなんて少数派なんですよ。離散とかもうね、証明以外に無いし、証明は聞いて分かるけどじゃあ自分で書けって言われたときに、ノートが無いと練習方法すら分かんないんじゃどうしようもない。
ただ、聞くことは重要だと思うのでそこは折半。書き漏らしたところは友達と補完。あとは教科書で補強かな。
なので、重要度的には、先生の話≒ノート<<教科書って感じ。教科書はあくまで予備よ。演習問題しか使えねーってのもある。
ただ、逆に社会思想史や文学、文化人類学に心理学とか、文系科目は先生の話を聞かないと意味が無い。プリントは配られるけど、ダイジェストだし。板書もほとんどないから、必要なことは自分で書き留めないと。
以上、長々とした私信でした。むしろいいわけともとれるけど。
大学はある程度のテンプレはあるけど制限は無いから。教科書なんて最初の方は参照してたけど、最近は家に置きっぱなしでほこりをかぶっている。勉強するときに見ることはあれどノートメインだし。
効率のいい勉強方法っていうのはいろいろあると思うけど、重複してやるのは無駄だよね。授業でやったことを反復するなんていつもどうよと思うのだけど。演習で一緒にやってしまえばいいじゃないみたいな。
ぼくは、実践あるのみな、インドア派なのに体育界系な思考の持ち主です。人間、やればきっとできるのだ。やりたくないことは多いけどね。
でも考えてみれば、ノートを取って見直すことなんて多分一割にも満たない。できるところはできるし、基本的なことが分かれば応用もある程度はできる。それ以上と、証明のやり方とかくらいかな。あとは演習あるのみ(テスト時だけだけど)。
だから、ノートはあとで見直すためのものでもあるけれど、書きながら覚えるというところもあるかもしれない。音よりかは文字の方が分かりやすい部分はある。力学とかはそんな感じだったかな。
更新? 宣言した以上今日中にはやるぜ。まだなにもしてないけど。
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