エンジン始動!
2007/04/27 Fri [Edit]
どれほどの速さで生きれば――
目標とか、夢とか希望とか、そういったものがなくなったのは何時の頃からだったろう。
いつかできると、いつかきっと見つかると、そう思って探そうともしなかった。
それはおそらく間違いだったのだろう。
毎日毎日、僕は善良なる高校生として学校に通う。
何の意味があるかもわからずに、だけれどそれなりに楽しかったとは思う。
それでも、学校に続く道を歩きながら思う。思い続ける。
人並みに思うことはあった。
人並み、というものはきっと持っていた。
そう、思いたかった。
パソコンに向かって文章を打つ。
一昨年の初めごろから続けているブログだった。サイトも、このブログに遅れてはいるが、ほぼ同じ頃から始めた。
僕はサイトで、思いついたことだけを、つらつらと文章に変えて世に送り出している。それが恥さらしと知っていながらも。
ブログもまた、日々のあったこと、思ったことを何も考えずにただ、打ち続けている。
小説なんていうものは、読むものだと思っていた。決して書くものではなく、あくまで読むものだと。
部屋でよく本を読む。近くの本屋で立ち読みする。図書館から借りる。
僕が読む本の多くは、現実にはない話で、あったとしても自分には起こることはおよそありえないだろう話だ。
僕は読みながら、その主人公になりきる。自分に主人公を投影し、物語の中に入り込む。
そこでなら、楽しいことはたくさんあった。夢だって、希望だってあった。自分の、望まないものは全て、あった。
きっと、現実が嫌いだったんだろう。いや、そうではない。きっと、どうでも良かったのだ。ただの惰性で生きつづけて、ここにいる意味もわからずに。
だから、『別世界』へといける『出入り口』をもとめていた。
あるとき、あるものを失った。
それが目の前に横たわる姿を見て、それに泣きついた。でもきっと、子供だった僕には、本当はそれの意味するところがわかってなかった。
後日、『Lost』と診断された亡骸が帰ってきても、なんの感慨も沸かなかった。多分、ああやっぱり、とその程度だったろう。
思い出して、泣くことはたまにある。それでもきっとそれは『ふり』だ。悲しいふりをしてたいだけ、そんな風に思って虚しくなるときがある。
学校の中で僕はよく独りでいる。単に話す人間、『友達』と称される人間がいなかったからだ。
周りから見れば友達だ、という人間はいるだろう。ただ、話すだけの人間を友達というのなら。
昔から、人と一緒にいることに漠然とした違和感を感じていた。どこかずれた歯車のような感じがして、ひどく居心地が悪かった。
人の言うことなど眉唾物としか思えなかった。
人の言うことなどに、意味など求めたくなかった。
人知れず、僕は何かを探し続けた。
僕はそれに、気づこうと、したくもなかった。
新たなる窓を見つけたのはほんの二ヶ月ほど前だ。
その時はただおもしろそう、とだけ思いチェックを入れておいたものだ。いつか見ようと、そう思って。
そのころはもう、末期症状がでていて流されるままに生きていた。テストがあれば勉強して、面白そうなことがあれば参加して、適当にいやなことがあれば怒って、馬鹿話をして、ただもう、触れても何も思わなかった。
すぐに、その窓のことは頭から消え、いつものように茫漠とした、砂漠のような時間の中を歩き続けた。飽きようとも思いもせず、止めようと、思おうとせず、何の意味も見つけずにただただ歩き続けた。
それからしばらくして、唐突に思い出した。そのサイトにアクセスし、上映期間がもうあとわずかだとそれで気づいた。
その時もまだ、見ようとは思わなかった。金を払ってまですることじゃないと思ったからだ。
だから動画サイトで、見ようと思った。
よくいっているところで、画像は荒いが物語りだけを見るのには十分だった。
その窓を探し、見つけ、耳にイヤホンをつけて再生した。
きっと、何かが堕ちてきた。
映画館の中で独り呆ける。
その窓が、今終わったところだった。
終わっても何もせず、ただ画面の中を見つめていた。そこにはもう何も映っていなかった。
胸の中に何かが残った。
立ち上がり、町の中をかけ、階段を飛び降りるようにして降りて電車に乗る。
電車から降りて、今度は階段を駆け上がり、地上に出る。
そのころには、残ったものの正体がわかった気がした。
いつかできると、いつかきっと見つかると、そう思って探そうともしなかった。
それはおそらく間違いだったのだろう。
毎日毎日、僕は善良なる高校生として学校に通う。
何の意味があるかもわからずに、だけれどそれなりに楽しかったとは思う。
それでも、学校に続く道を歩きながら思う。思い続ける。
人並みに思うことはあった。
人並み、というものはきっと持っていた。
そう、思いたかった。
パソコンに向かって文章を打つ。
一昨年の初めごろから続けているブログだった。サイトも、このブログに遅れてはいるが、ほぼ同じ頃から始めた。
僕はサイトで、思いついたことだけを、つらつらと文章に変えて世に送り出している。それが恥さらしと知っていながらも。
ブログもまた、日々のあったこと、思ったことを何も考えずにただ、打ち続けている。
小説なんていうものは、読むものだと思っていた。決して書くものではなく、あくまで読むものだと。
部屋でよく本を読む。近くの本屋で立ち読みする。図書館から借りる。
僕が読む本の多くは、現実にはない話で、あったとしても自分には起こることはおよそありえないだろう話だ。
僕は読みながら、その主人公になりきる。自分に主人公を投影し、物語の中に入り込む。
そこでなら、楽しいことはたくさんあった。夢だって、希望だってあった。自分の、望まないものは全て、あった。
きっと、現実が嫌いだったんだろう。いや、そうではない。きっと、どうでも良かったのだ。ただの惰性で生きつづけて、ここにいる意味もわからずに。
だから、『別世界』へといける『出入り口』をもとめていた。
あるとき、あるものを失った。
それが目の前に横たわる姿を見て、それに泣きついた。でもきっと、子供だった僕には、本当はそれの意味するところがわかってなかった。
後日、『Lost』と診断された亡骸が帰ってきても、なんの感慨も沸かなかった。多分、ああやっぱり、とその程度だったろう。
思い出して、泣くことはたまにある。それでもきっとそれは『ふり』だ。悲しいふりをしてたいだけ、そんな風に思って虚しくなるときがある。
学校の中で僕はよく独りでいる。単に話す人間、『友達』と称される人間がいなかったからだ。
周りから見れば友達だ、という人間はいるだろう。ただ、話すだけの人間を友達というのなら。
昔から、人と一緒にいることに漠然とした違和感を感じていた。どこかずれた歯車のような感じがして、ひどく居心地が悪かった。
人の言うことなど眉唾物としか思えなかった。
人の言うことなどに、意味など求めたくなかった。
人知れず、僕は何かを探し続けた。
僕はそれに、気づこうと、したくもなかった。
新たなる窓を見つけたのはほんの二ヶ月ほど前だ。
その時はただおもしろそう、とだけ思いチェックを入れておいたものだ。いつか見ようと、そう思って。
そのころはもう、末期症状がでていて流されるままに生きていた。テストがあれば勉強して、面白そうなことがあれば参加して、適当にいやなことがあれば怒って、馬鹿話をして、ただもう、触れても何も思わなかった。
すぐに、その窓のことは頭から消え、いつものように茫漠とした、砂漠のような時間の中を歩き続けた。飽きようとも思いもせず、止めようと、思おうとせず、何の意味も見つけずにただただ歩き続けた。
それからしばらくして、唐突に思い出した。そのサイトにアクセスし、上映期間がもうあとわずかだとそれで気づいた。
その時もまだ、見ようとは思わなかった。金を払ってまですることじゃないと思ったからだ。
だから動画サイトで、見ようと思った。
よくいっているところで、画像は荒いが物語りだけを見るのには十分だった。
その窓を探し、見つけ、耳にイヤホンをつけて再生した。
きっと、何かが堕ちてきた。
映画館の中で独り呆ける。
その窓が、今終わったところだった。
終わっても何もせず、ただ画面の中を見つめていた。そこにはもう何も映っていなかった。
胸の中に何かが残った。
立ち上がり、町の中をかけ、階段を飛び降りるようにして降りて電車に乗る。
電車から降りて、今度は階段を駆け上がり、地上に出る。
そのころには、残ったものの正体がわかった気がした。
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